肺呼吸と鰓呼吸

 あいつは世界を泳いでいる。ぷくぷくと吐きだされた気泡が揺れてはじけていくのを眺めながら、そんなことを思う。
 あいつは魚の子だから、ああやって肺呼吸のフリをして鰓呼吸をしているのだ。俺たちは優しいし、面倒ごとを起こしたくないから、そ知らぬふりをして背中を叩いて挨拶をする。おはよう轟、ああ、おはよう、テノールの柔らかい声は、耳に馴染んでしまった。
 頬杖をつくあいつもそう、ぷくり、と小さく気泡を吐き出したり、肺で呼吸をしたり。不器用な轟と違って、爆豪は器用に二通りの呼吸を覚えている。本気を出すときは鰓呼吸、やる気のないときは肺呼吸。俺たちと居る時に肺呼吸なのは、やる気がないんじゃなくて、気を張る必要がないからだと解釈している。
「おはよ、爆豪」
「おう」
 今朝は眠たいのか肺呼吸だ。

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ほんとのところ

「もう爆豪と別れようと思って」
 同期で一番に結婚するだろうと思われていた二人が、案外と上手くいっていないことを知っているのは、おそらく世界でも指を折るほどしかいないだろう。何の因果か、たまたま現場が被ったのをきっかけに――現場が普段は被らないという時点でばれるかしら――繰り出した飲み屋で、耳郎響香は私に告げた。爆豪勝己と分かれるつもりだと。まあまさかあの彼に限ってそんな、とは思いながらも続きを促すと、乙女は頬を桃色に染めて――なんてことはなく、淡々と不満を吐く。恋人とヒーローの時の扱いの差がない。彼はいつだってヒーローだ。ニュースはいつだってチェックしているし、新聞を三社、お得意の探偵を抱えて情報を得るようにしている。時折耳寄りな情報を教えてくれるのはありがたいけれど毎朝新聞を広げられると気が散るし、何より情報を集めていない自分がだめに見えてくる。速報です、その六文字が聞こえるだけで彼の姿勢は準備段階にシフトする。いつ呼ばれたって良いように、彼は全力で構えている。彼はいつだってヒーローだ、けれどいつだって恋人だ。半ば公認となっている二人の中をマスコミが茶化せば勝手にあしらってくれるしその分は楽だけれど、負担をかけているようで気分が悪い。食費に家賃は折半、共用財布の割合に負担があるわけでもなし、酒を飲むタイミングにずれがあるわけでもない、基本的に対等なパートナーとして存在しているのにそういうときに限って爆豪ばかりが対応を奪っていく。マスコミは大げさにつついた結果カップルが二組破局を迎えたあたりで学んだのかしつこく嗅ぎ回ることはないけれど、マンションの前をうろついていることはある。手を打とう、と部屋でくつろぐ彼に連絡を入れてから声をかけにいこうとしたら爆豪からの連絡が入る。お前はそこで待っておけと。部屋に帰れと。代わりに俺が行く――と。一人前のヒーローに対してどこまでも守りを尽くされてしまうと立つ瀬がない。
「ウチだってヒーローだよ、そりゃ、アイツに比べたら攻撃力はないけどさ」
 でも、探査能力は、ウチの方がある。最後に水を勢いよくあおって、耳朗響香は言い切った。
「その通りね。……あら、寝ちゃったのね」
 一服を盛った身としてはわざとらしいけれど、対外的なアピールも必要だ。
「お会計お願いします。あと、領収も」

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死体を埋めるなら

 死体沈めるなら、どうする。唐突な問いかけに、山田は首を傾げた。仮にもヒーローと呼ばれ、ランキング争いからは逃げているものの業界内での認知度も信頼も高い男からの問いであるとは信じられないし、実際目の前で頬杖をついて――どこぞの司令のようなポーズである――、トレードマークの包帯もどきをくるくるともてあそびながら、相澤消太ことイレイザーヘッドは、「死体沈めるなら、どうする」と言ったのだ。

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