肺呼吸と鰓呼吸

 あいつは世界を泳いでいる。ぷくぷくと吐きだされた気泡が揺れてはじけていくのを眺めながら、そんなことを思う。
 あいつは魚の子だから、ああやって肺呼吸のフリをして鰓呼吸をしているのだ。俺たちは優しいし、面倒ごとを起こしたくないから、そ知らぬふりをして背中を叩いて挨拶をする。おはよう轟、ああ、おはよう、テノールの柔らかい声は、耳に馴染んでしまった。
 頬杖をつくあいつもそう、ぷくり、と小さく気泡を吐き出したり、肺で呼吸をしたり。不器用な轟と違って、爆豪は器用に二通りの呼吸を覚えている。本気を出すときは鰓呼吸、やる気のないときは肺呼吸。俺たちと居る時に肺呼吸なのは、やる気がないんじゃなくて、気を張る必要がないからだと解釈している。
「おはよ、爆豪」
「おう」
 今朝は眠たいのか肺呼吸だ。




   ■


 相澤先生もプレゼントマイクも、すれ違うプロヒーローも大体鰓呼吸をしている。話が通じねえなあ、高飛車だなあ、と思ったヒーローは鰓呼吸だし、歩み寄れそうにもない。話が分かる、と思ったヒーローは肺呼吸もしてくれる。そうなりたくてなれない俺たちに、彼ら彼女らは肺呼吸で歩み寄ってくれるのだ。
 俺には肺呼吸しかできないから、いつか鰓呼吸を覚えないといけない。そうじゃないと、プロになんてなれない。


   ■


「って、思ってたんすけどね」
「うーん、それ、中二病やな」
 高校生んときやろ、随分発症遅かったな。暢気にタコ焼きを食べながらその人は言った。
 鰓呼吸をしたままの人が俺の今の雇い主。サイドキックとして無事プロになった俺は、未だに肺呼吸しかできないでいる。大阪に引っ越してきて二年。金魚のフンとか側近とか、散々な言われようだけどなんとかなじんできた。下手な関西弁で喋ると方々にどつかれるから、最近は標準語の勉強をしたりしている。日本語は難しい。
「……分からなくもない」
 環先輩はタコ焼きのほかにサラダとか牛串を食べている。牛かー、闘牛かな、なんてぼんやり考えながらタコ焼きを口に放り込むと、とんでもない熱が口の中に広がった。外側カリッと、中とろっと、は要するにどろどろの熱が広がると言うことで。俺はいつまで経ってもたこ焼きを上手に食べることが出来ない。
「あっっ、っ、ぅ」
「ほれ水」
「大丈夫か」
 三人一組、スリーマンセルを初めて組んだのは何年前だろう。もうすぐ俺は成人する。同級生はみんな鰓呼吸を覚えてプロになったか、肺呼吸のままサポートへ回ったかのどちらかだ。
 ヒーロー科に所属したからって必ずヒーローになれるわけじゃない。
 肺呼吸のままの俺を、どうしてかファットガムは拾ってくれた。
 サイドキックとして、スリーマンセルのピースとして雇ってくれている。
 いつになれば鰓呼吸が出来るんだろうか。そんなことばかり考えていると、ファットガムとサンイーターにそれぞれ一つずつ、たこ焼きを取られてしまった。
「何するんすか」
「授業料前払いな」
「そういうこと」
 全く意味が分からない。疑問符を浮かべた俺を、雇い主は薄ら笑いで、先輩は無表情で見つめている。はふはふと熱いたこ焼きを食べながら見つめられても困る。
「俺、そんな変なこといいましたっけ」
「まあ、言ったなあ」
「分からなくもないけど、正しくはないことを言ったな」
「……えぇ」
 口の中のたこ焼きを飲み込んで一息ついた二人は、飲み物とサラダにそれぞれ手を伸ばす。コーラを一気飲みしたファットガムは、ぴしっと俺を指さして、それから告げた。
「ヒーローに鰓呼吸も肺呼吸もあらへん。あとそんなん誰も見えてへんし、お前のも多分錯覚や」
「錯覚」
「そう、錯覚、思い込み、劣等感。環も覚えあるやろ」
 朗々と語る雇い主は、環先輩にも同意を求めている。まあはい、と頷いて、先輩はサラダの最後の一口を食べた。
「ヒーローはヒーローである時点でヒーローや。ライセンスもっとったら肺呼吸やろが鰓呼吸やろが関係なし、一般人助けるヒーローであることに変わりはない」
「……なるほど?」
 言っていることは分かる。確かに俺はヒーローだ。夢に見たプロヒーローとして、世知辛い現実と戦いながら、日々生まれているヴィランと戦いながら生きている。
「まあ聞け」
 人差し指だけじゃなく全ての指が伸びて俺の言葉を制止する。歌舞伎めいた仕草だ。ストッパーになりそうな先輩は新たに豚串を追加していた。止める気配は全くない。
「なので、お前の言う、肺呼吸のやつらからみたら、烈怒頼雄斗も鰓呼吸のプロヒーローなんです」
 そうなんですか、と思わず呟いた。俺が鰓呼吸だなんて信じられない。だって誰よりも俺が、自分の吐いた泡を見れないから。
 そうなんです、とファットガムは頷く。
「お前俺が言うてんやから信じろや」
「え、あ、はい」
 俺、鰓呼吸してるんですかね、と呟く。ファットガムのありがたいお答えは、「知らん」のたった三文字だった。