桜魔のデルタ

 たったった。ランニングの足音が昼下がりの住宅地に響く。規則正しく、けれど軽やかなリズムは若々しさが滲んでいる。気の向くまま住宅地を駆け抜けて、長尾景は額の汗を拭った。運動は好きだが、汗をかくのは苦手だった。
 入り組んだ路地、学校横のあぜ道、都会にしては大きな田んぼに畑。一応駐車場のあるコンビニ。
 ここは中央ではない。青々しい木々が生い茂る景色は美しい。空気も澄んでいて、余計なモノが見えることもない。頭上に広がる青空を見上げると、惚れ惚れするような晴天が広がっていた。
 本来ならば中央区にある事務所で寝転がっている時間だ。北部まで散歩というわけでもない。
 長尾は、依頼人に会いに来たのだ。

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彼が纏う空気

「来るぞ」
「え、なにが? ……ッ、――さむぅ」
 刀を握ると、人が変わったように彼の基準はズレる。非情、冷血、人命よりも任務優先。常日頃から聖人君子のように優しいとは言わないけれど、それにしても切り替わりについていけない。それがいいことなのか悪いことなのかは分からない。けれども、纏う空気の温度が変わるのはいただけない。

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plz kill me!


 冬のことさら寒い夜、雪が降り始める頃。ふ、と空を見上げるとき、彼の顔を思い出す。懇願する男の、甘美で蠱惑的な色香とともに、体中の興奮が蘇る。発情していたのかもしれない。発情は興奮の一種だ。獰猛さであれ恋心であれ、暴かれてもなお膝をつかない感情こそが興奮だ。
 俺を殺してくれよ、叶。
 葛葉はそう言って、僕に願いをあずけた。

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新宿が似合う男

新宿が似合う男だな、と、そんなことを思う。
働く人々が集まる昼、羽目を外す人が集まる夜、歌舞伎町に象徴される絢爛な世界もあれば、地味なオフィス街もあり、飲み屋はどこにだってある。煉瓦で覆われた東京駅じゃなくて、古書と新書で溢れる神保町じゃなくて、アングラが表出した秋葉原じゃなくて。全てがあるようでなにもない、詰め込まれた空虚の街が似合う男だなと、思う。自分だって新宿に根を生やした人間だというのにも関わらず、自分よりも新宿が似合うなと、渋谷のセンター街より新宿歌舞伎町のほうが似合うなと、思うのだ。

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したがり

叶は、多分「したがり」ってやつなんだと思う。奉仕ってやつ? 俺がシよって誘ったら準備万端だし、勿論誘ってくる時もそうだ。言う前から舐めてくるし。出かける準備も勝手にするし――これは俺が忘れ物ばっかするせい――飯もほっといたら勝手に買ってくるし作ってる。指折り数えてみたけれどキリがなかった。俺の動きに気付いたのか叶がこっちを見てくるけど、何も言わずにテレビへと興味が移っていった。昼下がりのだらだらとしたバラエティなんて面白くもなんともない。それを叶がへらへら笑って見てるもんだから、不意に怒りが湧いてきた。

叶ばっかりだ。叶が、叶のしたいようにやっている。

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習作

ご飯行こうよ、と声を掛けてから一時間。いく、と空返事が返ってきてから五十分。二度目に声を掛けてから、三十分だっけ? 相変わらず葛葉はモニターに夢中なままだ。折角なら配信でゲームしてくれればいいのに。そうしたら諦め切れるのに。手慰みにエゴサして時間を潰しているけれど、そろそろ昨日見たツイートまでたどり着いてしまう。どうしようかな、再生リストでも整備しようかな。ちらりと葛葉の様子を確認すれば、ラスボスに手が掛かっていた。
葛葉なら十分あれば余裕でしょ、そんな一言を零して部屋を出る。出かける準備をしよう。財布持って、スマホ持って、軽めのカーディガンを羽織って。

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深夜に食べるあまいもの

 真っ白なクリームと、真っ赤なジャム。よくあるケーキだろう。ティータイムならお似合いだろうが、今は深夜一時。所謂大人の営みの小休止、水分補給と休憩の時間だ。ウルタが俺のシャツを奪ったせいで、俺は上裸で休憩に挑んでいる。十センチの身長差のせいで、ウルタの衣服はどれも着心地が悪いのだ。強めにかけた冷房が何も纏わない肩を撫でていくせいで、妙に居心地が悪い。

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